嘘つきは泥棒の始まり―という言葉があるように、「嘘」をつくことはよくないことだ、というのが我々の共通の道徳規範であるように思う。
しかしながら(言うまでもなく)我々の世界は嘘に満ち溢れている―とまでは言わないけれど、比較的日常的に嘘はそこにあり、手に取ってみることはできないけれど、そんなに珍しいものでもない。
そんな訳で、あまり歓迎されないにもかかわらずそこかしこにある「嘘」ですが、実は嘘の神髄は、「真実を映し出す」ことができるという点ではあるまいか。
「フィクション」と言われる小説、ドラマ、映画・・・等々は、まさに嘘の真骨頂であり、嘘の積み重ねで真実をあぶりだすことができる。
一方「本当のこと」だけで嘘をつくこともできるだろう。
例えば、僕があなたを突き飛ばし、あなたはテーブルの上にあったコップにあたってしまい、コップが落ちて壊れたとする。
実際に起こった出来事は
①僕があなたを突き飛ばした
②あなたがテーブルの上にあるコップにあたった
③コップが落ちて壊れた
ということになると思うのですが、②と③だけ見ればあなたがコップを壊したことになる。
確かに直接的にコップを壊したのはあなたなのだけど、その原因は突き飛ばした僕にあるわけで、僕がゴメンと謝ればいいのですが、例えば誰も見ていないことをいいことに「あなたがコップを壊した」という事実だけを述べて(嘘はついていない)コップを壊した責任はあなたにある、と第三者に主張するかもしれない。
これはもちろん例えで、僕はいい子なのでちゃんと謝りますが(本当か)、一般論として、「都合の良い本当のこと」だけを並べて全体の本質を見失わせることは多々あるように思う。
「都合の良い本当のこと」自体に嘘はないかもしれない。しかし本質を隠ぺいした「都合の良い本当のこと」の積み重ねは、結果的に「嘘」になる可能性がある 。上記の例でいえば、コップを割ったすべての責任はあなたにある、というように。
ということで、すべての嘘が悪いわけではないし、本当のことだからといって真実であるとは限らない。
・・・と考えると、嘘をつくとき気が楽になるかもしれない。
いやいや、本質を見極める目が大切ですね。