ヒエロぐり

DTMer hieroglyph が綴る作曲記

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自分の曲は客観的に聞けないのだろうか?

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僕は自作曲をネットに投稿(主にニコニコ動画)しているのですが、当然投稿前には入念・・・というと言い過ぎかもしれませんが、「これで投稿して大丈夫か?」とチェックして、そのチェックにパスした曲が無事投稿され、ネットの海で泳ぐことになります。

 

たまに重大な欠点(らしきもの)を発見し、作り直しになることもあります。作り直しは面倒ですが、まあチェックした甲斐があったと思って黙々と作り直す。もくもく。

 

 

ようやく投稿され、やれやれ一安心・・・と思って改めてその曲を聞いてみると、あれ?ココ直しておけばよかった、とか、ココもっと音を足しておけばよかった、という不満な点が稀によく見つかります。まるで岩場に隠れている小さいカニを見つけるように。

 なぜ同じ過ちを?

投稿してしまった曲は(当然)手直しできないので「ああ、直したいぃl;い;ぃぃ」と心の中で叫びながら次の曲に取り掛かる→チェックして投稿→直したいぃl;い;ぃぃ・・・をループしているような気がします。

 

なんでこんなに同じようなことを繰り返すのだオレは・・・・と思ったので個人的に分析するに、たぶん自分で作る曲は作曲の過程で何回も聞いていて、それこそ何十回、何百回と聞いていて、その曲に対する感覚がマヒしてしまい客観的に聞くことができなくなっているからなんだろうな、となんとなく思って過ごしていました。

 感覚のマヒ?

しかしその「自分の曲に対する感覚がマヒした」理論だと、「投稿した後に不満な点を見つてしまう」ということが説明できないということに最近気づいてしまいました。

 

つまり、自分の作った曲に対する感覚が麻痺してしまい正常なジャッジが下せないならば、作曲中であれネットに投稿した後であれ正常なジャッジは下せないはずです。

 

しかし僕の場合、作曲中は気づかないけど、ネット投稿後に気づいてしまう、というものなので、「感覚がマヒした」だけでは説明がつかないのです。

 

「時間の経過によりマヒ状態が解消し、自作曲を客観的に聞けるようになり、不満な点を見つけることができるのではないか」とも思いました。

 

確かにそういった面はあると思います。しかし僕の場合、ネットに投稿してすぐに「ああ、直したいぃl;い;ぃぃと」状態になることがあり、「時間の経過によるマヒ状態の解消」は否定しませんが、それだけではないような気がするのです。

なぜ投稿後に見つけてしまうのだろう 

なぜチェックしたはずなのにネット投稿後に不満点を見つけてしまうことがあるのか?

胸に手を当ててよーく考えてみました。

そこで出た結論は・・・

 

「危機感の差」ということになりました。

 

作曲中は手直し、手戻りが可能です。その「いつでも修正可能」な状態の曲とネット投稿後の「修正不可能」な状態の曲とでは、曲に対するスタンス・・・具体的には「危機感」が違うのではないか。

 

つまりネット投稿後の「修正不可能」な状態になって初めて”もう作り直すことができない”という意識からある種の危機感が発動し、そういった状況で曲を聴くと新たな問題点が見えてくるのではないか、と。

 

危機感により、より研ぎ澄まされた視点で曲を聴くことができる、といった感じでしょうか。

 

じゃあいつも危機感を持って曲を作ればいいじゃないかということになりますが、この危機感って「ある特定の状況下に無意識に発動する」っていうアニメの主人公がピンチの時に発動するスキルみたいな感じで、常に持ち続けられるものではないような気がしています。

 簡単なことさッ

ということで、「今後危機感を持って曲作りいたします」とはいえませんが、投稿前の作曲中の曲に対する見方というか姿勢をちょっとシビアにした方がいいのかな、と思いました。

 

といっても具体的には「意識を変える」だけなのですが、それが大事なのかもしれません。

 

「簡単なことさッ『意識を変える』それだけなんだッ」

 

ってジョルノ・ジョバーナが言ってたとか言ってないとか(言ってない)。